日本郵船は1953年までにほぼ第二次世界大戦前の定期航路を再開したが、朝鮮戦争(50〜53年)後の不況期にあって海運市況は芳しくなく、厳しい社内合理化の努力を重ねていた。
こうした中、56年にエジプトがスエズ運河の国有化を宣言するとイスラエル、英国、フランスとエジプトとの間でスエズ運河の利権をめぐる第二次中東戦争(56〜57年)が始まった。戦闘によりスエズ運河が不通になると大量の船舶が喜望峰回りを余儀なくされ、大幅な船舶不足が起こるとともに各国が備蓄用の中近東産石油の買い付けを急いだことも状況に拍車を掛け、海運市況は暴騰した。いわゆる、スエズブームである。
このブームは、日本海運界が第二次世界大戦後初めて迎えた本格的な好況であった。不定期船運賃指数は47年を100とすると56年には190にまで達し、日本郵船はそれまでの累積損失を一挙に解消して企業基盤の安定化を図ることができた。しかし、翌57年スエズ運河通航が再開される見通しが立つと市況はたちまち反落し、スエズブームは1年で終わりを告げたのである。
近年のスエズ運河を航行するコンテナ船
不定期船運賃指数
グループ報「YUSEN」
2009年6月号No.622
【表紙のことば】 さらに環境に優しい船を。NYKグループは2030年の実現に向けて、技術開発を進めます
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