1946年、政府は鉄道輸送力減退などによる輸送手段の供給不足を解消するため、GHQ※(General Headquarters of the Allied Forces)の許可を得て海運各社に計55隻の小型船の建造を割り当てた。このうちの1隻が、日本郵船にとって戦後初の新造船となった「舞子丸」であった。48年3月「舞子丸」が大阪〜高浜航路に就航したことで、当社は自営再開の第一歩を踏み出したのだった。このほか4隻の小型貨物船・貨客船も建造され、日本沿岸航路に就航した。
遠洋航路は51年のバンコク航路開設を皮切りに、インド・パキスタン航路、ニューヨーク航路、シアトル航路、カルカッタ(現、コルカタ)航路が再開。サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)が発効された52年には欧州航路、オーストラリア航路が、そして翌年には中南米ガルフ航路が再開して、ほぼ戦前の航路を取り戻すに至ったのである。
これら航路の維持には、船隊の再建も急務であった。外航船の建造が認められた49年度以降の計画造船により、「平安丸(II)」「赤城丸(II)」をはじめとする新鋭船の建造を進めた。しかし、計画造船1回につき1社に割り当てられる建造隻数が限られていたため自社船のみでは十分な隻数を確保できず、関係会社との提携による用船が不可欠であった。
こうして戦前の自社船中心の船隊とは異なる形態で、船隊の再建が進められていった。
※ GHQ:連合国軍総司令部
「舞子丸」
戦後初めて国旗を掲揚し、ニューヨーク(米国)へ入港する「赤城丸(II)」
「平安丸(II)」
グループ報「YUSEN」
2009年4月号No.620
【表紙のことば】 新社長誕生。さあ、一花咲かせましょう。
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