休館中
常設展では、近代日本海運の黎明期から今日に至るまでを、日本郵船の社史を通して紹介しています。 分かりやすくまとめられた映像を中心に、歴史の分岐点を捉えた貴重な写真、豪華な客船パンフレット、美しい絵葉書、迫力あるモデルシップ、そして詳細な各種資料を展示し、近代日本の海運史を多角的にご覧いただけるようになっています。
岩崎彌太郎1835(天保5)年〜1885(明治18)年
海運業を起こし日本郵船の礎を築いた三菱の創始者。
天水桶 1870(明治3)年鋳造
防火用水として雨水を溜めておくための桶。
公会式目
明治初期に岩崎彌太郎が定めた酒宴の心得。
日本郵船会社 創立命令書
農商務卿から出された日本郵船への会社創立命令書37条。
第一回取締役会議事録
株主会議決定事項として社長以下役員名が記されている。
日本郵船社旗二引
白地に赤二線で通称「にびき」。共同運輸との二社合併を意味したもので、航路の地球横断と前途無限の発展を意図。
欧州航路第一船 土佐丸(写真左) 〔1896(明治29)年〕
三大航路の命令書
政府の命令航路として運営された三大航路への命令書。
創立満三十年記念帖
創立後30年間の発展と変遷の重要事項を図表で示したもの。
浅間丸模型 縮尺:1/48
1929(昭和4)年竣工の豪華客船。サンフランシスコ航路に龍田丸、秩父丸とともに投入。
パンフレット
カラフルな装飾から当時のデザインの傾向を知ることができる。
浅間丸ディナー再現
航海が終わる2日前に船長主催の特別ディナーが供されることが恒例であった。
沈没する照国丸
1939(昭和14)年、英国テムズ河口ハーウィッチ沖で機雷に触れ沈没。
隼鷹
橿原丸から改造された航空母艦。
能登丸船名板
太平洋戦争開始とともに陸軍徴用船となり、1944(昭和19)年フィリピンのレイテ島で空爆を受けて沈没。船名板は1974(昭和49)年、フィリピン方面遺骨収集政府派遣団によって発見され日本郵船に寄贈された。
復帰した氷川丸
1953(昭和28)年7月から貨客船としてシアトル定期航路に復帰。
平安丸Ⅱ 起工式スイッチハンドル
1949(昭和24)年三菱重工業(株)長崎造船所(長崎県)で催された起工式で使用。
駐留在日米軍残遺品
日本郵船本社ビルを接収していた駐留米軍が引き揚げの際に友情の証として残した記念品。
日本郵船初の原油タンカー丹波丸
日本郵船初の鉱石専用船戸畑丸
日本初のフルコンテナ船箱根丸
LNG船 アルジャズラ
航空貨物の荷役
港湾施設
コンテナ船が入出港し、専用のクレーンで荷役が行われる。