創業(1885年)間もない日本郵船は日本沿岸・近海航路を営業の機軸としていたが、他船社の進出により競争が激化。さらには鉄道網の発達により、旅客運賃収入も減少していった。
一方で急速に発展し既に国内市場を制覇しつつあった紡績業界は、次に中国市場を開拓するためにインド綿花の輸入確保を必要としていた。1893年、これらを背景に日本郵船は紡績業界支援の下、インド綿花商TATA商会と共同で初の遠洋定期航路であるボンベイ(現、ムンバイ)航路を開設。当時、同航路はPeninsular and Oriental Steam Navigation社、Ö¨sterreichischer Lloyd社、Navigazione Generale Italiana社による海運同盟※に独占されていたが、2年半にわたる激しい運賃値下げ競争に耐え抜き海運同盟への加入を認められた。
こうして日本郵船は、日本沿岸・近海から遠洋へと航路運営の方向性を定めていったのである。
※海運同盟:特定航路に配船する船社が結成する企業連合で、同盟下で運賃水準、配船権、積み取り権、契約客に対する運賃割引や条件などを決定する。船社すべてが加盟できる米国を中心とした開放同盟と、特定条件を満たした船社のみが加盟できる欧州を中心とした閉鎖同盟がある
■綿糸生産量の推移
大阪紡績会社(現、東洋紡績(株)
TATA商会の人々
出典「富を創り、富を生かす−インド・タタ財閥の発展」
(サイマル出版会)
グループ報「YUSEN」
2008年4月号No.608
【表紙のことば】 もっと地球を知るために、地球深部探査船「ちきゅう」が始動しました
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