1893年にボンベイ(現、ムンバイ)航路を開設し、会社運営の軸足を日本沿岸・近海航路から遠洋航路へと転換した日本郵船であったが、日清戦争(1894〜95年)がさらなる発展への転機となった。兵士、馬、物資の輸送に66隻15万トンの船を明治政府へ御用船として提供し、それに伴う多額の戦時補償で保有船舶数を大幅に増やしたのである。この戦争での勝利は国民の間に世界の中の日本という気運を盛り上げ、政府も海外航路拡充の法律を次々と制定し、海運の成長を後押しした。そして96年、日本郵船はついに欧州、オーストラリア、米国の三大航路を開設。この時、最新鋭船18隻を建造し、その費用だけで資本金の1.5倍以上に相当した。この社運をかけた大英断により、遠洋定期船会社としての方向が決定付けられたのである。
ボンベイ航路、三大航路は政府の命令航路で、補助金交付と引き換えに使用船舶のトン数、速力、船齢、航海数や航海日数などに制限を受けるだけでなく、航路の廃止・変更も許されなかった。
『HANDBOOK
OF INFORMATION』
(1896年)。営業内容と主要寄港地を紹介した海外向け冊子
航海命令書
■三大航路開設当時(1896年)の航路図
グループ報「YUSEN」
2008年5月号No.609
【表紙のことば】 4月25日、日本郵船氷川丸、リニューアルオープン
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