1904年に始まった日露戦争で、社船の大半に当たる73隻を陸海軍御用船として供出したNYKは、戦争中、各国同盟船社から船舶を借りて定期航路を維持していました。
そんな中、同年4月に米国でセントルイス万国博覧会が開幕。60カ国が自国の伝統文化や先端技術をアピールし、中でも米国の自動車メーカー各社が出品した160台の自動車が話題を呼びました。日本も財政難ながら予算を捻出(ねんしゅつ)し、広大な日本庭園や金閣寺、日光東照宮陽明門を模した建物を出展し、好評を博しました。
当社は企業の部で船舶模型や航路図、そして休憩室「若冲(じゃくちゅう)の間」を出展。設計・制作は時の帝室技芸員※1、川島甚兵衞※2が手掛け、室内の壁や天井には江戸時代の高名な絵師、伊藤若冲(1716〜1800)の花鳥画の図柄が、つづれ錦と刺しゅうで見事に再現されました。当時、当社客船の内装に川島織物合資会社(当時)の織物を起用していたことから、協力を依頼したものと思われます。使用した136トンの資材はすべて日本から船で運び、現地で組み立てました。「若冲の間」は見事金賞を受賞。日露戦争中の一大プロジェクトでした。
※1 帝室技芸員:宮内省(当時)で、宮中で用いる美術工芸品の制作にあたった
※2 川島甚兵衞(1853〜1910):本名川島辨次郎。川島織物創業者川島甚兵衞の没後、2代目甚兵衞を襲名
天井・壁面・窓掛けの構想図
(写真は全てコピーライト株式会社川島織物セルコン織物文化館所蔵)
4,000種の色彩が使われた「若冲の間」
NYKの展示スペース入り口
グループ報「YUSEN」
2007年9月号No.601
【表紙のことば】 1997年7月2日、あなたはどこで何をしていましたか? 同日10時4分、VLCC"Diamond Grace"が東京湾・中ノ瀬の浅瀬に接触し、油が流出。この事故の教訓を風化させないためにあなたにできる安全対策は?
(海図は海上保安庁発行、W90東京湾より)
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