明治・大正・昭和初期を足早に駆け抜け、「公益衆利」に生き57歳でこの世を去った西村庄平船長の物語です。
NYKを退職後、調布女学校(現、田園調布学園)開校に尽力した西村庄平元船長は教育には門外漢であったため、教育に精通した協力者を探し求めて東京高等師範学校(現、筑波大学)出身の川村理助に巡り合います。盟を約して校長に迎えた理助とともに「捨我精進」を学園の教育方針として掲げ、我儘(わがまま)を抑え他者を思いやる心を涵養(かんよう)し、精進を重ねて自己を高める指導を貫きました。現在も学園では社会貢献を重視し、生徒のボランティア活動への参加が奨励されています。
庄平は理事長でありながら庶務や会計、時には用務員の仕事さえ厭(いと)わず実践し、節約を励行して学園経営の基礎を固めました。校舎脇の広場には、粗衣をまとい、足元にはバケツを置いてモップを握る清掃作業中の庄平の銅像が建ち、見る人にロマンを感じさせます。台座には理助の銘文「・・・・・・此ノ像ヲ造リ君ガ精進ノ三昧(さんまい)境ヲ如実ニ表現以(も)ツテ精進ノ規範タラシメントス」が記されています。
開校後7年で逝去した庄平の後はノブ夫人が継ぎ、ノブ夫人逝去後は長男一郎氏、1994年からは孫の昭氏が理事長、その夫人である弘子氏が校長に就任して学園の持続的発展を支えています。 同学園は1967年に女子短期大学、2002年には男女共学の4年制大学を設立しました。変化する社会のニーズに教育現場を合わせる工夫の跡が認められます。そして、大学の校旗はNYKの二引の旗に倣って白地に赤線2本を力強く右肩上がりに引いたもの。西村庄平の心意気と公に尽くす志は、今も脈々と受け継がれています。
グループ報「YUSEN」
2006年12月号No. 592
【表紙のことば】 情けは人のためならず。できることから始めた活動が、世界そして未来をさりげなく支え、さらには今まで知らなかった社会や自分の姿に気付かせてくれます。
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