明治・大正・昭和初期を足早に駆け抜け、「公益衆利」に生き57歳でこの世を去った西村庄平船長の物語です。
東急東横線の田園調布駅(東京都)から歩くこと10分。田園調布学園中等部・高等部の5階建て校舎が目に入ります。今年80周年を迎えたこの学園を創立したのがNYKの元船長、西村庄平でした。
1876年生まれの庄平は、1901年に東京商船学校(現、東京海洋大学)を卒業しNYKに入社。日清・日露戦争中は運転士 ※1として政府の御用船に乗り組み、終戦後は欧米航路を航海して西洋事情をつぶさに見聞する機会を得ました。1911年に船長として「伊勢丸」に乗船して以来、「鎌倉丸」「三島丸」と乗り継ぎ、第一次区世界大戦中には御用船船長としてUボート ※2の出没する危険な海域で安全航海を達成し、名船長とうたわれました。19年間の海上勤務を経た後で陸上勤務になり、横浜支店や神戸支店で航海監督に就きました。
関東大震災が発生した1923年暮れ、22年間勤めたNYKを47歳で退職。悠々自適な生活に入りましたが壮気やまず、国家の役に立ちたいと悶々とした日々を送ります。そんな折、田園調布の畑の中で放棄されたままになっている女子学校建設事業を、地域の人たちから引き継いでもらいたいと要請を受けます。西洋事情に精通し、日本の女子教育の遅れを痛感していた庄平は、蹶然と立って私財をなげうち、事業の継続を引き受けました。そして1926年、調布女学校が開校したのです。
※1 運転士: 現在の航海士
※2 Uボート:第一次・第二次世界大戦で使用されたドイツの潜水艦
<次号に続く>
グループ報「YUSEN」
2006年11月号No. 591
【表紙のことば】
前へ前へと進む琴欧洲の姿に、NYKグループの姿を重ねたい。航空輸送という新しい翼を加え、さらに戦略的でグローバルな海・陸・空の総合物流企業へ。
(2006年10月23日付、日本経済新聞朝刊に掲載)
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