さまざまな料理で親しまれている「男爵いも」。このユニークなネーミングのもとになったのは、北海道で農場を経営していた川田龍吉男爵です。近所で「男爵さん」と呼ばれていた彼が、1908年(明治41)にアメリカから「アイリッシュ・カブラー」というジャガイモを輸入したことから、「男爵いも」として知られるようになったのです。
そんな川田男爵にはもう1つの顔がありました。第3代日銀総裁の川田小一郎の長男である彼は、1877年(明治10)からイギリスで鋳造・造機・製図・機械工学を学び、帰国後当社に籍を置いて、製図掛、監督長を歴任しました。
そして1893年(明治26)には、当社吉川副社長(当時)ほかが発起人となって設立された横浜船渠株式会社(後の三菱重工業横浜造船所)の取締役に37歳の若さで就任し、日本初の民間による石造りドック2つを建設しています。昭和初期、「氷川丸」「秩父丸」はここで建造されました。
後年、経営不振に陥っていた函館ドック再建のために北海道へ渡り、本業の傍ら農業経営に着手したわけです。
川田が手掛けた2号ドックは、現在横浜ランドマークタワーの足元にあるイベント広場「ドックヤードガーデン」として生まれ変わっています。
川田龍吉(1856〜1951)
現在、川田の農場跡は男爵資料館になっている(左)、横浜船渠会社の2号ドック(1925年)
社内報「YUSEN」
2003年6月号
【表紙のことば】
ジューンブライドに表される6月のイングランドは美しい。代々デボンシャー公爵(こうしゃく)の邸宅であったChatsworthは今も公たるキャベンディッシュ家当主の居所。その邸宅の一部と広大な庭園は一般に開放され、夏は絶好の水遊びの場として子供たちの歓声が絶えない。
(中南米・アフリカグループ 片山真人)
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