毎年春になると、ワシントンのポトマック河は満開の桜で覆われ、水面に映る美しい景観を楽しむ人々は60万人にも上ります。これらの木は日本の桜を愛した1人のアメリカ人女性の熱意がきっかけとなり、今から約90年前に植樹されました。
エリザ・R・シドモアは駐日領事館副領事を兄に持つジャーナリストで、明治初期の3年間の日本滞在中、桜の美しさに魅了されました。当時、実のならない桜は価値がないと思っていたアメリカの人々に本当の美しさを伝えたいと、20年以上関係者にポトマック河畔への桜植樹を訴え続けていました。
1909年(明治42)タフト大統領夫人に直接手紙を書いたことが功を奏し、ついに東京市からワシントン市へ友好の桜が寄贈されることになったのです。
若木2,000本は当社「加賀丸」が輸送することになりましたが、日米の懸け橋としての寄贈に心を打たれた近藤廉平社長は「一層奮発、国交上ノ関係ヲ重ンジ、全然無賃ニテ運搬ツカマツルコトトシ」との手紙を尾崎行雄東京市長に出し、運賃を無料にしました。
しかし、残念なことにワシントンに到着した木は、害虫に感染したため焼却処分されてしまいます。その後、万全の体制で育てられた苗木11品種6,040本※が「阿波丸」により再送され、1912年(大正元)3月26日、シアトル経由ワシントンに無事到着しました。
現在、兄や母とともに横浜外人墓地に眠るシドモア女史の墓の傍らには、1996年(平成8)に里帰りした4本の桜の木が植えられています。
※うち約半分はニューヨークへ
シドモア女史
社内報「YUSEN」
2003年5月号
【表紙のことば】
よく晴れた土曜日の朝、サラマンカマーケットは普段の静かな街からは考えられないくらいにぎわっていた。ここはホバート市民の憩いの場、買い物などで行き交う人たちの笑顔が印象的だった。
(オーストラリアにて 三等航海士 森団平)
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