『THE TRAVEL BULLETIN』1930年10月号では、日本から約6千マイル離れたイタリア沿岸を航行中の「照國丸」から、無線電信を受け取ったというニュースが掲載されています。当時この距離は記録的だったようで、新聞でも快挙であると報じられました。
1895年、グリエルモ・マルコーニ(1874〜1937)によって発明されたと言われる無線電信技術は、日本でもすぐさま逓信省や海軍省によって研究が重ねられ、1907年からは逓信官吏練習所で無線通信士の養成が始まりました。
1908年5月16日に銚子(千葉県)の海岸局と東洋汽船の「天洋丸」船内に無線電信局が開設されたのを皮切りに、4海岸局と9隻の船舶に、次々と官設の無線電信局が設けられました。
「天洋丸」に次いで無線局が開局された日本郵船の「丹後丸(I)」は、同年5月27日、海岸局と船舶の無線電信を行い、この日は日本が無線電報に成功した最初の日となりました。
開局当初は100マイルが限度であった技術も、20年の間に飛躍的に進歩し、遠く離れた洋上から、自宅にいる家族と連絡を取ることが可能となりました。当時の新造貨客船には、最新設備として無線電信装置が設置され、客船の華やかなりし時代を彩りました。
『THE TRAVEL BULLETIN』 1930年10月号 早稲田大学図書館協力
『THE TRAVEL BULLETIN』:1920~41年、日本郵船が発行した英文広報誌。全195巻
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グループ報「YUSEN」
2012年11月号No.663
【表紙のことば】 二引の空の下で