『THE TRAVEL BULLETIN』1928年8月号では、今日ではほとんど見られなくなった海苔の天日干しの写真と共に、東京の特産品として浅草海苔を紹介しています。
江戸時代に始まったという海苔の養殖。当時は、海苔ひび(もしくは「しび」)と呼ばれる木の枝を浅瀬に差し、海中の海苔の胞子を付着させ育てる方法が取られていました。かつて浅瀬の続く美しい漁村だった大森や品川では、海苔の養殖が盛んで、浮世絵などには頻繁にその風景が登場しています。これらの地域で採られた海苔が、浅草海苔の原料になりました。
諸説ある浅草海苔の起源ですが、記事では次の伝承を取り上げています。「(前略)最初に海苔を見つけたのは、江戸郊外大森の農民であるという。彼は変わった海藻を見つけ、浅草の製紙業者へ持っていって、売り物の海苔を作れないかと聞いた」
浅草海苔という名前の由来については、大昔は浅草辺りまで海であったため、海苔が採取できたからとも、浅草紙の職人によって、紙漉(す)きの要領で板海苔が発明され、浅草で販売されたからともいわれています。
東京港開発による埋め立てなどもあり、1962年には大森や品川などかつて江戸前と呼ばれた地域での漁業権放棄が決定し、海苔養殖は終焉(しゅうえん)を迎えました。今や、かつての品種や技法で作られる浅草海苔は希少となりました。
『THE TRAVEL BULLETIN』 1928年8月号 早稲田大学図書館協力
『THE TRAVEL BULLETIN』:1920~41年、日本郵船が発行した英文広報誌。全195巻
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グループ報「YUSEN」
2012年8月号No.660
【表紙のことば】 ドキドキワクワク、「現場」にお邪魔します!