第二次世界大戦で国に徴用された船舶は、主として軍事物資や兵員の輸送に使用された。しかし、商船は輸送路を断とうとする攻撃の標的となり、戦局の悪化とともに日々その数を減らしていった。開戦時に世界第3位、630万トンを誇っていた日本の海運会社が保有する船舶は、1945年8月の終戦時にはわずか150万トンにまで激減。日本郵船も客船をはじめ貨物船、戦時標準型船※を含む185隻113万トンを失い、沈没を免れ無事に終戦を迎えられた37隻のうち、1万トン以上の船は特設病院船となった「氷川丸」ただ1隻という壊滅的な状態に陥った。
当社の犠牲者は海上社員5,157人、陸上社員155人の計5,312人にも及んだ。そこで当社では数多くの犠牲者の冥福を祈るため合同慰霊法要を営むとともに、55年には殉職戦没社員冥福祈念像を建立した。
※ 戦時標準型船:軍事輸送用に建造された船。短期間で大量に建造されたため大きさ、性能とも劣っていた
■船舶遭難位置図(1941〜45年)
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■日本郵船の損失と犠牲
「横浜丸」から引き揚げられた食器。長年海底にあったため、絵付けの色彩が消失している
グループ報「YUSEN」
2008年12月号No.616
【表紙のことば】 大海の向こうに見える未来を目指して、前進あるのみ。 NYK-TDG Maritime Academyの挑戦は、続きます
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