第一次世界大戦(1914〜18年)中の好景気は戦後、反動不況へと転じ、年号が大正から昭和に変わっても金融恐慌、世界恐慌と続く不景気が長きにわたって日本経済を危機的状況に陥れていった。海運業界への影響も例外ではなく、船腹過剰、運賃・船価の下落などにより不況は深刻化の一途をたどった。
そのころ各国船社との激しい競争を繰り広げていた太平洋航路では、サンフランシスコ(米国)航路を開設していた東洋汽船(株)がこのあおりを大きく受けていた。そこで1926年、東洋汽船が設立した第二東洋汽船(株)と日本郵船が政府主導の下に合併。サンフランシスコ航路と南米西岸航路の営業権、「天洋丸」をはじめとする8隻を日本郵船が継承することで航路を存続させた。これを機に、日本郵船はサンフランシスコ航路の優秀船建造に着手することになる。
第二東洋汽船との合併記念写真。(前列左から)合併にかかわった井上準之助、渋沢栄一、郷誠之助、(後列左から)浅野総一郎東洋汽船社長、白仁武日本郵船社長
1908年竣工の「天洋丸」。日本初の総トン数1万トン超の船で、蒸気タービン、油たきボイラーを採用。日本の絹織物を使ったアールヌーボー様式の装飾も話題を呼んだ
「天洋丸」一等読書室
「天洋丸」タイムベル (日本郵船歴史博物館に展示中)
グループ報「YUSEN」
2008年8月号No.612
【表紙のことば】 ダントツの環境先進企業グループを目指し、しっかり根を張りさらに大きく成長を続ける
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