欧米の巨船主義に対抗するため、日本郵船は日露戦争(1904〜05年)で得た補償金を元手に6,000〜1万1,000トンの大型船27隻の建造を計画。そのうち15隻を1914年までに、残りを1916年までに竣工させた。
第一次世界大戦(1914〜18年)では「八阪丸」をはじめ5隻を失ったものの、戦時下の好況を背景に世界一周航路、パナマ運河経由ニューヨーク(米国)航路、南米東岸航路、欧州航路地中海線など13の遠洋航路を開設。1915年と1918年の2回の増資で資本金を2,200万円から1億円にし、社業の飛躍的発展を図った。1915年発行の『創立満三十年記念帖』には、創立以来の保有船腹や貨物・旅客運賃収入などの推移がイラストで表現されており、当時の活気ある雰囲気を伝えている。
日本が米国、英国に次ぐ世界第3位の海運国へと躍進した時代であった。
出典:“HAND BOOK OF INFORMATION No.9 1920”
(上から時計回りに)5年ごとの所有船腹総トン数の 推移、旅客運賃収入の推移、貨物運賃収入の推移 (出典:『創立満三十年記念帖』)
グループ報「YUSEN」
2008年7月号No.611
【表紙のことば】 世界を支える石油資源。効率良く利用し、節減に努めることが環境保全にもつながるのです
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