8月22日、沖縄県那覇市に「対馬丸記念館」がオープンしました。
「対馬丸」(6,724トン)1916(大正5)年に当社が開設したニューヨーク航路の第1船となった貨物船で、第2次世界大戦中陸軍に徴用されていました。戦争末期、敵の沖縄上陸が必至とみた日本軍の要請で、政府は老人、女性、子ども10万人を本土などへ疎開させることを決定。1944(昭和19)年8月21日「対馬丸」は、国民学校の生徒・教師・付添人ら1,661人を乗せて那覇港を出港しました。しかし2日目の夜、南西諸島悪石島の北西12キロメートル付近を航行中に、米国の潜水艦「ボーフィン」号の魚雷攻撃を受けて沈没。
乗船していた学童767人、乗組員24人を含む1,484人が犠牲となり、救助されたのは学童59人を含むわずか177人。歴史上きわめて悲惨な出来事でした。
「対馬丸記念館」は、この惨事で九死に一生を得た生存者と遺族を中心とする財団法人対馬丸記念会が、国境を越えて平和へのメッセージを発信し続ける場として設立。沈没後60年目に当たる日にオープンさせました。当時甲板員として乗船していた中島高男さんの協力で船室が再現されているほか、同会が収集した遺影やランドセルなど約200点と当社が贈った「対馬丸」の模型(縮尺1/100)が展示されています。
社内報「YUSEN」
2004年9月号
【表紙のことば】 博多〜釜山(韓国)間の新造フェリー「ニューかめりあ」が竣工。そのデイリーサービスは日韓両国の物流の架け橋になっている。
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