シドニー港の入り口、タスマン海を見下ろす断崖(だんがい)絶壁North Headには、1830〜1984年の154年にわたり、コレラや天然痘といった疫病の国内侵入を防ぐオーストラリア政府の検疫所がありました。移民が盛んだった時代には疫病対策は特に厳重に行われ、シドニーに入港する船は数日間沖に錨泊(びょうはく)させられました。場合によっては乗組員、船客とも市街地から隔離されたこの検疫所で何日も過ごすことを余儀なくされていました。検疫所滞在中に時間を持て余したのでしょう、遠くヨーロッパやアジアの各国からやって来た人々は、 誰とはなく付近の岩礁に彫り物をするようになりました。
長い間の風雨にもかかわらず、1835年にまでさかのぼる古い物も含めて1,000近くの彫刻が今も残っています。ある者は記念に船名を、ある者は長い滞在の憂うつな気持ちを漢詩に、とその題材はさまざまですが、それらの中にひときわくっきりとした二引の旗と、大正時代に「八幡丸」「日光丸」の乗組員が彫ったレリーフを見ることができます。一帯は現在シドニー港国立公園の一部となり、検疫所の建物や病死者の供養塔などとともに、当時の歴史を伝えています。
上/日光丸のレリーフ
下/検疫所の隔離棟
社内報「YUSEN」
2003年3月号
【表紙のことば】
春の柔らかい日差しに包まれ、観光客だけでなく、住んでいる人々も自然に集まってくるクライストチャーチの大聖堂前広場。物語の中野町に迷い込んだようで、このまま住んでしまいたい気持ちを抑えつつ、帰路に就く。
ニュージーランドにて
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