1935年(昭和10)、当社シアトル航路の「平安丸」に、木箱に納められた1つの石が託されました。この石は、シアトル郊外のタコマにそびえるレーニエ山山頂から採取され、日米友好の印としてアメリカ内務省国立公園局から日本の国立公園協会あてに贈られたものでした。レーニエ山(標高4,392m:国立公園)は、先住民からタホマ(水の源)と敬われ、山頂に氷河を頂く姿が富士山に似ていることから、明治時代同地に渡った移民たちが望郷の念を込めて「タコマ富士」と呼んだそうです。
さっそく富士山からも返礼の石が採取され、日本を代表する木材である山桜の木箱に納めて贈られました。
ところが日本に贈られた石は、後年落雷による火災の際消失してしまったことが分かり、戦後(昭和27)アメリカからタコマ富士の石が再贈呈されることになりました。2度目の親善使節の役を担ったのは、唯一大戦で生き残った「氷川丸」でした。船内で行われた贈呈式には両国関係者多数が立ち会い、石は国立公園局長ウアース氏から斎藤領事に、領事から坂本船長に託され、横浜で無事国立公園部長の梁本氏に届けられました。
現在、日米両富士山の石はそれぞれレーニエ国立公園管理事務所、富士山登山口にある山梨県立ビジターセンターで大切に保存・展示されています。
A. レーニエ山をバックに採取した石を囲む国立公園局長ウアース氏ら B. 「平安丸」徳永船長に託されたレーニエ山の石 C. 贈呈式で斎藤領事から石を受け取る「氷川丸」坂本船長
社内報「YUSEN」
2003年1月号
【表紙のことば】
北大西洋に面したポニシェ(フランス)のビーチは、こんな荒れた波の日もあれば、凪(な)いで潮干狩りを楽しめる日、濃霧で水際しか見えない日も。私の知らない景色を見せてくれます。
(造船技術グループ サンナザーレ長期出張員 吉田誠司)
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