軽井沢の旧三笠ホテル(明治39年開業)は、かつて当社取締役も務めた渋沢栄一や団琢磨(旧三井財閥総帥)、住友吉左衛門(旧住友財閥総帥)、乃木希典将軍、清朝最後の皇帝溥儀といった名だたる顔ぶれが宿泊する、華やかな社交の舞台でした。この美しいホテルを建設・開業したのは、十五銀行や明治製菓、そして当社の監査役(大正6年〜昭和13年)に名を連ねた実業家山本直良です。明治37年、三笠山のふもとに土地25万坪を購入した直良は、設計を欧米に学んだ岡田時太郎に、監督を万平ホテルの佐藤万平に頼み、純西洋式木造のホテルを建設します。
三笠ホテルは客室30に対し定員は40人で、プールのほか当時はまだ珍しかった水洗トイレ、電灯によるシャンデリア照明を備えるモダンなホテルでした。サービスにも力を入れ、軽井沢駅までの約2キロの道のりを黒塗りの馬車で送迎するなど、地元の老舗万平ホテルや軽井沢ホテルに対抗していました。直良の妻が作家有島武郎の妹ということもあり、ホテルは白樺派のサロンとしても利用され、また英国から取り寄せたすべての洋食器には、弟の画家有島生馬が絵付けを行いました。
直良は、ホテル業以外にも有島家と親交のあった当代の陶芸家宮川香山らを京都から招いて三笠焼を開窯。また、あけび細工や軽井沢彫りなど地元の工芸品を奨励・販売して外国人宿泊者にも珍重されました。
しかし、経営は赤字続きでホテルは大正14年に手放され、昭和45年にはホテルとしての営業に幕を下ろしましたが、その優雅なたたずまいは現在国の重要文化財として多くの人が訪れる観光名所となっています。なお、窯のために直良が植林した赤松が今も三笠一帯に残っています。
三笠ホテルでの晩餐会風景。左から3人目が山本直良
ホテル入口
現在の旧三笠ホテル
社内報「YUSEN」
2002年5月号
【表紙のことば】
地中海を望むバレッタの乾いた道を、旧式の馬車が進んで行く。それを見下ろす十字軍遠征時代からの砦(とりで)も、当時と何も変わらない。馬車の乗客は、甲冑(かっちゅう)に身を固めた騎士から、今は短パン姿の観光客へ。車輪の響きにかすかな時の流れの出会いを感じた。
(技術開発グループ 廣岡秀昭)
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