横浜の「山手資料館」とクラシカルなたたずまいのレストラン「馬車道十番館」に、二引の旗が彫られた重厚な椅子(いす)があります。椅子は全部で12脚。展示品・装飾品としてだけではなく、同資料館では来館者が記念スタンプを押す時に座ることができ、レストランではバーのカウンター内でベテランバーテンダーに愛用されているものもあります。
これらは、欧州航路船の「信濃丸」のサロンで使用されていたものです。「信濃丸」は、日露戦争中の日本海海戦でバルチック艦隊を発見し「敵艦見ゆ」の打電で連合艦隊を勝利に導いたことで有名ですが、日魯漁業(現、(株)ニチロ)の北洋蟹漁業運搬船、太平洋戦争中は軍の輸送船、戦後は復員輸送船となり、1951年(昭和26)、その51年の長きにわたる生涯を終えました。
サロンの椅子は、古き良き横浜を残そうとした「横浜史料保存会」が「信濃丸」の廃船時に20脚余りを入手したものです。その後1967年(昭和42)、同保存会のメンバーで山手資料館設立者でもある本多正道氏がレストランを開業する際12脚を譲り受け、そして一世紀近く経った今日も静かに歴史を語り継いでいるのです。
なお、レストラン「馬車道十番館」には、かつて「浅間丸」に乗船した当社OBの上杉善麿氏、金井健三氏、宮下綱氏などが勤務して客船じこみのお菓子とサービスを伝え、また横浜土産として人気の高い、クリームをビスケットで挟んだお菓子「ビスカウト」の誕生にも貢献しました。
背もたれ部分の「二引の旗」
山手資料館外観
「信濃丸」
社内報「YUSEN」
2001年10月号
【表紙のことば】 ブルージュ(ベルギー)の街外れ。お誕生日か何か記念日なのであろうか、女の子はとてもかわいらしくオシャレな服とブーケで装い、その少女を父親と思われる男性がいろいろなアングルからカメラに収めていました。幼い娘に対する父親の慈しみが、その空間を暖かく包んでいました。
当ホームページに掲載されている写真・図版・文章等は許可無く転用・転載はできません。