筆記具メーカーの老舗である(株)パイロットの設立者が、当社の海上社員であったことはあまり知られていません。埼玉県に生まれ、1901年(明治34)商船学校(現在の東京商船大学)機関科を卒業した並木良輔は、1904年(明治37)当社に入社しました。
当時は舶来品がもてはやされ、日本からの輸出品は皆無に等しい状態でした。船員時代にそれを目の当たりにし、また船内での団結精神を学んだことは、並木のその後の企業人生に影響を与えました。
当社退職後、三井物産在籍中に同窓の和田正雄(航海科出身)と知り合いました。それから約10年間商船学校で教鞭を執り、1918年(大正7)に和田とともに(株)パイロットの前身である(株)並木製作所を設立、品質の良い国産万年筆の生産と海外進出に乗り出します。後に人間国宝となった漆芸家の松田権六を指導者に招くなど品質と技術の向上に努め、蒔絵を施した蒔絵万年筆を世に送り出しました。蒔絵万年筆は海外でも高く評価され、1930年(昭和5)にはダンヒル社と提携して欧米に輸出するに至ります。そして同年ロンドンでの海軍軍縮条約調印式で、各国全権代表の署名に使われるに及びました。
こうして並木良輔は国産万年筆の「水先案内人」となりましたが、その後1938年(昭和13)、設立者が商船学校出身であることにちなんで社名をパイロット萬年筆(株)と改めました。
ちなみに、農芸化学の権威である並木満夫氏(東京農業大学教授、名古屋大学名誉教授)は並木良輔のご子息です。
当社在籍時の並木良輔
社内報「YUSEN」
2001年6月号
【表紙のことば】 プラハ近郊ののどかな山間の町カレルシュタインでの一コマです。チャペルでの挙式を終えたばかりの二人が、抜けるような青空の下で親しい人々やかわいらしい天使たちに囲まれ、幸せいっぱいの笑顔を一段と輝かせていました。
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