1964年の海運集約以降、日本の海運業界を待っていたのはコンテナ化という新たな大波であった。66年、Sea-Land社(米国、当時)が北大西洋航路で世界初の国際海上コンテナ輸送を開始。規格化されたコンテナに貨物を積載することで、従来に比べ荷役効率を飛躍的に向上させるとともにスピーディーな複合一貫輸送を実現させたのである。
こうした動きを受け、日本郵船ではコンテナ化に関連する調査・研究を開始。そんな折、コンテナ化に注力し大きな成果を収めていたMatson社(米国)から太平洋航路での提携を持ち掛けられると、ノウハウの習得のみならず船や港湾設備などの巨額な初期投資費用を節減できると判断。昭和海運(株)(当時)と3社で太平洋航路でのコンテナ化を実現した。そして68年に日本初のコンテナ船「箱根丸II」を昭和海運と共有で就航させると、日本のコンテナ時代は幕を開けた。その後もオーストラリア航路、欧州航路など主要航路のコンテナ化が順次進み、コンソーシアムを結成してコンテナ船のスペースを融通し合うスペースチャーター方式やコンテナターミナル、船舶代理店などを相互利用する新しい航路運営形態が誕生した。
「箱根丸(II)」
コンテナ化が進む前の荷役風景
コンテナ船の荷役風景
船の構造も大きな変化を遂げた
グループ報「YUSEN」
2009年10月号No.626
【表紙のことば】 砂漠や砂浜の砂にも、シリカが含まれている
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