1930年に命令航路である客船航路の整備は一段落したものの、収益の重要な比重を占める貨物船航路では、使用船舶の大半が航海速力11〜12ノット(時速約20〜22キロメートル)の低速船で、他社からの立ち遅れが顕著になっていた。特にニューヨーク(米国)航路では、相場の関係で一刻を争う生糸が高速船を擁した内外他船社にすべて積み取られるなど、事態は深刻であった。
このような状況の下、32年に政府は老齢船を解体して新鋭船を建造する際に助成金を交付する船舶改善助成施設を制定。この政策を機に、日本郵船は遠洋航路貨物船隊の大幅な強化を図ることとなった。34〜35年にかけて「長良丸(I)」「鳴門丸(I)」など船名がNから始まる7,000トン級で最高速力18ノット(時速約33キロメートル)の高速ディーゼル船、いわゆるN型船6隻をニューヨーク航路に投入。続いて「赤城丸(I)」「有馬丸(I)」など7,000トン級で最高速力19ノット(時速約35キロメートル)のA型船5隻が、東航世界一周航路、オーストラリア航路などに就航した。
この結果、海運市況の好転にも恵まれて業績は急速に回復していった。
グループ報「YUSEN」
2008年10月号No.614
【表紙のことば】 岩崎彌太郎の中に見るNYKグループ・バリュー「誠意・創意・熱意」
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