「氷川丸」が現役を引退した1960年、日本は高度経済成長期を迎え、年間250万人の観光客や学生が横浜港を訪れるようになりました。そんな中、外国航路船の船内見学や宿泊を望む声が多かったことを背景に、半井清横浜市長(当時)らが「氷川丸」を海洋知識の養成・啓発の場として一般公開することを提案。こうして翌61年、山下公園(横浜市)に係留された「氷川丸」は、観光船として新たな人生を送ることになりました。
観覧コースを整えて、一度に600人の修学旅行生が宿泊できるように改装した船内は人々の熱気であふれ、73年までの13年間で宿泊者は51万人を超えました。
また、63年から2004年まで行われていた船上結婚式では2,000組近いカップルが誕生し、06年12月の営業終了までに2,221万人を超える観覧者が訪れるなど、46年間にわたりさまざまな形で人々の思い出の1ページを飾りました。
96年には「氷川丸」をはじめとする「横浜港新年を迎える船の汽笛」が、「残したい日本の音風景100選※」に選ばれ、名実ともに横浜の顔になりました。来春の一般公開に向けて船体と内装の修復工事も予定されています。新しく生まれ変わる「氷川丸」は、こうしてまた新たな歴史を刻んでいくことでしょう。
※ 残したい日本の音風景100選:96年、環境庁(当時)が、全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願う音の聞こえる環境(音風景)を公募。その中から特に有意義と認められる100件を選定したもの
グループ報「YUSEN」
2007年7月号No.599
【表紙のことば】 文明のバロメーターといわれる紙。紙の半数はこの木材チップから作られます
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