1920〜30年代にかけて、欧州航路やサンフランシスコ航路の客船では神戸〜横浜といった国内の航海で、しばしば日本の修学旅行生が乗船しました。日本国内の最初の寄港地で大半の乗船客が下船したため、その空いた客室を学生たちにごくわずかな運賃で提供していたようです。一流ホテルの風呂付きシングル最低料金が10円だった時代に、神戸〜横浜間の一等船室運賃は20円。それを10代の学生が利用するというのは、かなりぜいたくだったと言えるでしょう。
東京都内の開業医福原誠一さんは、そんな貴重な体験を持つ1人です。東京府立第四中学校(現、都立戸山高等学校)に在籍中の1929(昭和4)年秋、修学旅行で京都を訪れた同校生徒百数十人とともに、神戸から横浜まで当社の欧州航路船「箱根丸(10,423トン)」に乗船しました。
西洋風の船内は生徒たちには目新しいものばかりで、最初に教わったのは洋式トイレの使い方でした。夜は一等船客用の食堂でフルコースディナーに臨み、食堂給仕がメニューの見方やナプキン、フィンガーボール、ナイフ、フォークの使い方など「テーブルマナー」を指南しました。翌朝6時には、香ばしく焼き上がったトーストとコーヒーが部屋に運ばれ、それが朝食かと思いきや8時になれば食堂で朝食が始まり、出されたオートミールにまたびっくりという具合に、横浜までの船旅はひたすら驚きの連続だったそうです。
海外が遠かった時代、船上は日本人がまだ見たことのない西洋社会を経験する数少ない場だったことがうかがえます。
社内報「YUSEN」
2005年8月号
【表紙のことば】
NYKグループの1人ひとりが「モノ運び」を通じ、実はいろいろな面で人々の生活を支えています。
〜世界にはフネが運んだモノが意外と多い〜
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